こんにちは。
この記事では、松島旅行で訪れた「雄島・渡月橋」についてご紹介します。
「松島おひとりさま旅」については、こちらの記事をご覧ください♪
ちなみに今回の観光コースはこちら。
(リンクをクリックすると記事に飛びます)
~おひとりさま旅 松島めぐり~
①雄島 渡月橋
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②福浦島 福浦橋
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③五大堂 透かし橋
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④松島遊覧船 仁王丸コース(約50分)
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⑤国宝 瑞巌寺
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⑥円通院
今回が初めてのひとり旅だったので、初心者に安心な日本旅行の「JR+宿泊予約」セットを使いました。
雄島(おしま)について
雄島(おしま)へは、松島海岸駅を出て徒歩10分ほど。
観光中心地へ行くのとは反対方向というせいもあるのか、観光客が少なく静かで、ゆっくりと見ることができました。
雄島入口のひんやりとした神聖な空気、たくさんの彫られた仏像や岩窟、板碑。
まるで別の時空間にいるような不思議な感覚をおぼえました。
そして何よりこの島から見える景色がとても素晴らしかったです。
今回わたしが松島を巡った中では、この雄島が一番お気に入りの場所となりました。
雄島
東西40m、南北200mほどの細長いちいさな島。
陸地から歩いて渡ることができる数少ない島のひとつです。
雄島は、かつて諸国から集まった僧侶、巡礼の人が修行した場所。
現在は50余りしか残っていませんが、島にある岩窟(がんくつ)は108箇所あったと言われており、卒塔婆、仏像、五輪塔、法名などが彫られ安置されています。
ほかにも、国の重要文化財指定の頼賢の碑、松吟庵跡、松尾芭蕉と河合曾良の句碑などがあります。
ちいさな島なので歩いてまわることができ、すぐ目の前に松島湾が広がる光景は心が洗われます。
霊場としての歴史
景勝地としての松島が有名になったのは明治時代以降のことで、それ以前は死者供養の「霊場」として、極楽浄土を願う人びとが参詣する場所だったそうです。
この雄島も、中世の頃は「奥州の高野」ともいわれ霊場として知られていました。
雄島を訪れたのは、初夏の日差しがまぶしい昼間。
日傘で暑さをしのぎながら駅から歩いてきました。
しかし駐車場を通り抜けてこの雄島入口に足を踏み入れた途端、一瞬ひんやりと冷たい空気に包まれました。
本当にここはこの世とあの世との境界線なのではないかと思うくらい。不思議な体験でした。
歩みを進めていくと、島の至るところに岩窟があります。
これらは死者の浄土往生を祈念したもので、僧侶たちが修行のために彫った仏像や石塔が多数並べられており、神秘的な光景が広がっています。
このような岩窟は瑞巌寺でも見ることができ、松島がかつて霊場として知られていた歴史が感じられます。
「松島」発祥の地
雄島は古くから松島を代表する島であり、「松島」という地名の発祥の地と伝えられています。
1104年見仏上人(けんぶつしょうにん)が修行のため雄島に渡り、12年間島から一歩も出ずお経を唱え続け、法華経6万部を読誦したとのこと。
鳥羽天皇がその高徳をたたえ、千本の松の苗木を下賜されたことから千松島、のちに松島と呼ばれるようになったという一説があります。
上の写真に写っている2つの島は、細長いほうが鯨島、丸いほうが亀島で、2つあわせて双子島と呼ばれています。
渡月橋
雄島へかかる朱色の橋は渡月橋と言い、かつて僧たちが雄島に入る際に、陸地の俗世との縁を切ることから「悪縁を絶つ縁切り橋」とも呼ばれています。
渡月橋は1952年設置の木製の橋でしたが、東日本大震災の津波で流されてしまいました。
現在は、2013年7月に架けられた鉄筋コンクリート製の新しい橋となっています。
青い空と緑の松に、朱色の橋が映えます。
目で見るにはもちろん、写真に残したくなる美しい風景でした。
縁結びのパワースポット「縁切り橋」
渡月橋は、縁結びのパワースポットとして知られる「松島三大橋(3つの赤い橋)」のうちのひとつ。
ほか2つは、福浦島にかかる「福浦橋」、五大堂にかかる「透かし橋」です。
渡月橋(縁切り橋)→福浦橋(出会い橋)→透かし橋(将来を見据える)の順番で巡ると、良縁に恵まれるのだとか。
もちろんわたしも良縁を祈願して順に回ってきましたよ!
最後に訪れた縁結びの寺「円通院」のおみくじでは、「かならず近年中に縁談がある。安心せよ。」とのありがたいお言葉をいただきました(笑)
この世とあの世の境界線
雄島は、陸と海の狭間にあることから「この世とあの世をつなぐ島」と考えられており、雄島に火葬骨を納める風習が、明治時代まで続いていました。
松島は、鎌倉時代から多くの板碑(いたび)が造られ、中世の霊場として知られています。
その中でも雄島には現在も多くの板碑がありますが、2006年の調査で島周辺の海底に大量の板碑が沈んでいることが判明。
かつては島に群がるように石碑が立っていたようです。
この写真は、島の中にあったちいさなトンネル(?)のような場所。
まるでジブリ映画に出てきそうな雰囲気。わくわくしながら通り抜けました。
奥の細道
「奥の細道」は、江戸時代の歌人 松尾芭蕉が弟子の曽良(そら)と江戸を出て、奥州・北陸を巡った約150日間の紀行文。
松尾芭蕉は瑞巌寺に詣でた後にこの島を訪れており、曽良が「松島や鶴に身をかれほととぎす」という句を詠んでいますが、芭蕉は、美しさのあまり一句も詠むことができなかったとのこと。
ちなみに「松島やああ松島や松島や」は、芭蕉の作ではなく作り話だそうです。
雄島へのアクセス
松島海岸駅を出たら国道45号線を渡り、「松島離宮」の手前を通って右手へ進みます。
松島公園管理事務所を過ぎたところに「ようこそ松島へ」という看板がありますので、この道を中に入ります。
しばらく進むと「雄島入口」が見えます。
※この記事の内容は、2023年6月現在のものです。最新の情報は公式サイト等をご確認ください。